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熱狂の曖昧な対象

Posted by もも on 7:12 午後

熱狂的なというセンスに違和感があった。



例えば、私はユーミンが好きだ。デジタルリマスタだ、コントリビュートだと復刻アルバムがリリースされるたびに、同じアルバムでもまんまと乗せられて買ってしまう。

でも、熱狂的なユーミンファンのように目くじら立てて悪口を言う人を口激したり、コンサートで千切れんばかりに手を振ってみたりできない。



なんでだろう、なんであんなに熱狂できるのだろう?皆はそういう振りをしているだけなのかなと思い、(実は熱狂を羨ましいと感じているので)自分もそんな振りをしてみたりするけれど、どうも可笑しいと感じていた。



ところが、先日小さなホールで友人のパフォーマンスを観た。

私は熱狂した。そして、私は熱狂するんだということを思い出した。我を忘れて、奇声を上げて、足を踏み、手を叩いた。



ユーミンのコンサートとの違いはなんだろう。



好きなのはユーミンの歌とかメディアを通じて知っている生き方という形のないものであって、それは実態のない曖昧な幻影(まぼろし)にすぎない。

けれど、よく知る友人の小さなホールでのパフォーマンスは、肌感覚で知っている具象的な対象を目の前にしていた。

私はそれに際限なく熱狂した。



テレビをつけると熱狂する人々が日本の大使館を襲っている。彼らは何を見ているのだろう?何を見て何に熱狂しているのだろう。中国という国を愛するあまりの熱狂?

国って見えるのだろうか?



国家や宗教、所詮実態のない曖昧な幻影(まぼろし)なのに・・。


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